ソンベルグ近郊の小さな村に文房具商人のヨハン・ハーマンは妻とともに暮らしていました。そのころ文房具の商売は家族を養うのに充分な収入を上げられなかったので村の他の人々と同様に一家で木のおもちゃやヴァイオリンなども作っていました。
1888年長男のベルンハルドが生まれ、続いてアルツル、アデルヘイド、マクス、オッチリエ、アイーダが生まれました。そんな中、ちょうど1907年頃、アメリカではクリフォード・ベリーマンが描いたイラストとともにぬいぐるみのブームが起こっていて、アメリカから大量の注文が入るようになりました。そしてヨハンも布のぬいぐるみ、テディベアを製作するようになりました。アメリカのバイヤ−たちはソンベルグに支店を設けてぬいぐるみを買い付けていましたが、そのうちソンベルグにはたくさんの大きなデパートの支店も集まるようになりました。会社をヨハン・ハーマンより受け継いだ長男のベルンハルドはこうした人たちと実に上手に商取り引きをひろげ、基礎を固めて発展を遂げていきました。
第1次大戦後ベルンハルドは直接イギリス、フランス、スウェーデン、スイス、そしてアメリカに輸出を始めました。ベルンハルドの工場で作られた初期のテディベアはモヘア、グラスアイ、ディスクジョイントを使用し、ほとんどのベアのハナははめ込み式で刈り込まれていました。また、頭の横に付いた丸い耳、スリムな手足が特徴です。同じくドイツのシュタイフ社でも見られるようにこの頃のテディベアはボディも固く詰まり、メーカーによってスタイルの違いはありましたが、高品質なテディベアが作られています。しかし、第2次大戦後、ソンベルグはソビエトの占領下に入り、戦火の中、材料の入手も困難な状況となりました。このため、ベルンハルドは密かに西ドイツに移る事を計画していました。1948年夏、息子のウェルネスはヒルスチャイドに工場を作り、1948年に現在の「ゲブリューダー・ハーマン社(テディハーマン社)」を設立しました。しばらくはソンベルクとヒルスチャイドは協力して仕事をしていましたが、当時、ソビエトとアメリカの占領地を行き来するビジネスはリスクが伴いました。1953年ベルンハルドはすべての家族をヒルスチャイドに移す決心をして息子たちとその家族は密かにソンベルグを脱出しました。1959年4月にベルンハルド・ハーマンが死去するとビジネスは3人の息子達、ヘルムト、アルツル、そしてウェルネルに引き継がれましたが、質が高いテディベアは飽きられる事なく現在まで高い人気を保ち続けています。現在420種類のフラシテン製アニマルがありますが、なんと言ってもテディベアが最高の位置をしめています。シュタイフ社と並んでドイツの2大メーカーと言われています。
また、同じドイツの「ハーマン・シュピルヴァーレン社」はヨハン・ハーマンの息子でベルンハルドの弟のマクスが第2次大戦後の1920年にソンブルグに残って、父の家にて設立した会社で、ソンベルグからほど近いアメリカ占領地のコーブルグに工場を構えていました。しかし兄の会社「ゲブリューダー・ハーマン社(テディハーマン社)」と同じく、東ドイツに共産主義政権が誕生しつつあるのに恐れをいだいたマクスが国境を越えて工場を構えていたコーブルグに家族全員で移転し、現在もコーブルグにて操業しています。