テディベアについて

 テディベアの”テディ”というのは、アメリカ第26代大統領セオドア・ルーズベルトの愛称からきています。1902年の秋、ルーズベルト大統領は熊狩りに行き、瀕死の熊に出くわしました。ところが、大統領は打ち殺すことを拒み、その熊を助けました。その出来事が美談としてクリフォードベリーマンの風刺画とともに、ワシントンポスト紙に掲載されました。

 それを見たお菓子屋さんが、一体の熊のぬいぐるみを作り、セオドア・ルーズベルトのニックネーム”テディ”をもらって”テディベア”と名付けたのがはじまりと言われています。同じ頃、ドイツのシュタイフ社がライプチッヒで行われた博覧会に熊のぬいぐるみを出品しました。それがアメリカのバイヤーの目にとまり、3000体の注文を受けアメリカで大ブームが巻き起こり、これもテディベアとよばれるようになってこの名称が定着したようです。


リンダ・マリンズ著『The TEDDY BEAR MEN』より

日本のテディベアの始まり

 戦後の日本では、1980年代にテディベアの時代が始まります。高度成長期に海外旅行を自由に楽しむ若い女性が増え始めると、欧米でテディベアに出会った女性たちがベアを買い求めてくると同時に自分でも作り始める人が増えました。
その頃、東京・代官山に日本初のテディベア専門店「カドリーブラウン」がオープンし、アメリカのアーティスト、リンダ・シュピーゲルさんのテディベアを受注生産の形で輸入すると同時に個人でテディベアを作る材料を販売し始め、一気にテディベアは広まりました。

熱心にベア作りを教えて
下さるリンダさん

日本のテディベア協会の発足

 バブル崩壊後の日本の社会では、生活を見つめ直し趣味を求める人々が増えています。テディベアの世界でも材料を求めて自分で手作りを楽しむ層が5〜6年前から増えていました。80年代から作り始めていた人たちはアーティストとしての力を発揮して、アメリカの「TEDDY BEAR & FRIENDS」などに自分の作品を発表したり、海外のショーなどで販売もし始め、欧米のアーティストと肩を並べるまでになりました。 このような情勢を背景に、日本のテディベア文化確立を目的として1993年4月に「日本テディベア協会」は発足しました。

テディベアの現状

 94年12月に新宿伊勢丹美術館で、日本最初のテディベア美術展が開かれ、2週間で4万人が集まりました。 95年には伊豆テディベア・ミュージアム、蓼科テディベア美術館がオープンした他、日本テディベア協会が中心となって展開した阪神大震災義援テディベアオークションに向けて各地で開かれたテディベア展などのイベントが続きました。
 96年1月に開催したオークションでは130体のテディベアが総額2000万円以上で落札され、日本小児精神医学研究会(被災児の治療を続けている医師団)に寄付されました。また現在では毎年行われる日本テディベアコンベンションには毎年数多くののテディベアファンが集まり、大規模なテディベアのショーとして世界的に有名です。
 そういった状況を見てもテディベアは日本人の間に年令性別をこえて浸透しつつあるといえるでしょう。

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